今回のインタビューは、Naoさんです!
日本生まれ日本育ちの中国人ということで、幼いころから自分のアイデンティティを考え、自分を理解してくれる人を求めていた彼女。
その人生の問題は摂理の御言葉を聞いて、全部解決したと言います。
幼い頃からどういうことを考え、それが最終的にどうやって神様の愛に繋がったのか、ぜひお楽しみください!
Nao
日本生まれの中国人。大学2年生の時に摂理の御言葉に出会う。
日本語中国語がペラペラなバイリンガール(英語も?)。今は貿易会社で働いている。
中国と日本とのアイデンティティに悩む幼少期
— ユニークなバックグラウンドからお話いただけますでしょうか。
私は日本生まれの日本育ちの中国人なんですね。中でも他の日系中国人よりは中国の文化に触れてる方で、長期休みは全部中国にいたし、小さい頃は中国の学校にも通ったりしました。
日本の学校では小学校の時から若干の偏見を持たれるというか、直接的ではないにしろ日本人の友達との間に溝がある感覚がずっとありました。
授業参観に親に来てもらうの恥ずかしかったり、日本のおやつとか、かわいいお弁当を羨ましがったり(笑)。洋服も中国で買ってましたし、細かいところまで含めるといろいろ日本人と違う。
だから小学生の時はわりとおとなしい感じの子だったんじゃないかなと。
— 今では想像できないですね(笑)。
アイデンティティ的には日本でも中国でもない。自分の存在について考えるようになりました。何で生まれたんだろう的な話ですね。
親は中国人で、同じ環境で育ってないし、日本の文化もわからないし、私のことは理解してくれない。そこに家族の限界、みたいな壁を感じるようになりました。
はたして自分を本当に理解して愛してくれる人はいるのか。このままだと日本ではいなそうだ。かと言って中国にもいなそうだ。とか考えて、悩むまではいかないですけど、人生や、アイデンティティ、愛に対する疑問が自然と生まれてきました。
と同時に、私はもっとステキに生きれるはず、と思ってたのを思い出します。
ホームステイ先で出会ったクリスチャンの家族と叶えられた祈り
中学からは逆に、自分らしく生きていきたいと思って、かなり派手なグループと一緒にいて、クラスの中心みたいな感じで目立つようになりました。大学に入ってからもそれは変わらずでしたね。
留学に行こうとずっと小さい頃から思っていたので、短期留学に行ったんですね。
そしたらホームステイ先がたまたま、熱心なクリスチャンのご家庭で、すごく刺激を受けたんです。その方は、家で大学生を呼んでバイブルスタディしてたり、朝4時に起きて聖書を読んでたり。人格的にも本当に良い人で、感激しっぱなしでした。
普段は一緒にお祈りしてたんですけど、最後の日には一人でお祈りに挑戦してみたり。
サヨナラする時に、「聖書の話って難しいんですよね?」って聞いたら、「日本に帰っても聖書の話がわかるようにしてください」って祈りで祝福してくれたんですけど、実はすぐにそれが叶ったりして(笑)。
帰国後にすぐ、たまたま摂理のメンバーから聖書の紹介をされるようになって、そこからは毎日バイブルスタディー三昧で、一ヶ月後には教会に通うようになってましたね(笑)。
神様がこの世と人間を創造した話を聞いた時に、本当に衝撃を受けて、感動の涙が出てきました。今までの愛の問題が全部解かれる感じがして、神様の愛をすごく深く感じたんです。
自分の本当の理解者、神様の愛を悟る
— アイデンティティに悩んでた話とどう繋がってくるんですか?
小さい頃からずっと自分を本当に理解してくれる人を探していました。毎日楽しく過ごしてはいたけど、真実な理解者はいなかったんです。
家族も違うし、友達も違うし、要するに出会った人みんな違ったんですね。人間の愛には限界があった。それを乗り越えるものって神様しかないんだって。
世界共通の愛。国境を超えた愛。育った環境に関係ない愛。人類共通の愛。人として誰もが受ける愛。存在することそのものに対する愛。
根源的な愛を悟ってからは、もう世界がまるで違って見えました。
全人類のために犠牲になったイエス様の十字架の話を聞いた時も、その痛切な心情を感じすぎて、腰が上がらないほどに号泣したりもありましたね(笑)。
なんでこんな胸が苦しんだろうって思うくらい、とにかく胸が苦しかった。
— 犠牲の愛にはなぜ感動したんでしょうか?
こんなにも愛してくれる人がいたんだ!って感じですかね。今もその犠牲が私たちの血に流れている感覚がして、今の自分にとても関係がある十字架なんだという感じがしました。
うまく説明できてるとは思わないですし、うまく説明できるとも思わないんですけど、今まで人生で味わったことがない深い愛情に触れたんです。
その日、神様の愛を伝えたくなりすぎてどうしよう、みたいな状態になってしまい、帰りの電車で座った隣のおばさんとかに「私、聖書読んでるんですけど」とか話しかけたりしちゃったのを思い出します(笑)。
いつも側に神様がいる感覚です。しかもそれは一時的な愛じゃなくて、変わらない愛。
今はステージも変わって、仕事をしていますが、あの時に感じた神様に対する愛情は変わらないままです。むしろ、もっと強くなっている気がしますね。
最後に一言
— じゃあいつも聞いてる質問なんですが、世界中の人の前で伝えたいこととかありますか?
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。
マタイによる福音書22:37-38
このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
コリント人への第一の手紙13:13
聖書では最も大いなるものは愛だとおっしゃいました。もっと多くの人にこの神様の御言葉を知らせて行きたいなと思います。