摂理で聖書を学んで自信がついた!という人はよくいるんですが、自信をボキボキに折られた人はそんなに多くないと思います。

自分は変わる必要なんてない完璧な人間だと自信満々に思っていたのに、それは実は虚栄だったと気づけたのは聖書を学び、神様の人格に自分を似せようと挑戦したから。

一人の男がもがきながら勝ち取った本物の自信とは。今日も刺激的な神様とのエピソードをお届けします!

Yoshi
超大手外資系IT企業で働く。摂理は早くも10年近くになる。
その圧倒的な包容力とリーダーシップで人の心をワシ掴みにする。男子大学生の憧れ。

自分は完璧だと豪語していた大学入学当初

— 摂理に来ていろいろ変わったと思うんですが、何が一番変わったんでしょう?

高校卒業してすぐの時は、イケイケグループの友達が多くて、周りの人は人生もがいているだろうな〜とか思いながら、自分は自分にすっかり満足していて。

摂理に連れてきてくれた人に「変わりたいところないの?」って聞かれて、「僕はないです!自分は完璧です(ニコッ)」みたいな感じで呆れられてました(笑)。

そんな自分だったから聖書の必要性なんてまったく感じないし、そもそもポジティブなイメージもないし、読んでる人も弱っちく見えるというか、なんでそんなのに時間を費やしているのかわからないみたいに思ってましたね。

聖書って人間の説明書って言われたりするんですけど、神様のように完成された人間を目指そうっていう、平たく言うとそんな感じのメッセージなんですよ。

最初その話を聞いた時に正直受け入れられなかった自分が強かったですね。神様がそもそもいるとかいないとかも考えられないし。

でも一つだけあったのは、僕の周りにいた摂理のお兄さんたちは明らかに僕より人格的だったんです。

僕はわちゃわちゃしながら雰囲気楽しけりゃいいじゃんと思ってた人間だったけど、摂理の人を見るともっと達観しているというか、すべてに目的を考えたりとかしてるんですよね。

御言葉を実践しながらどんどん高みに登っている摂理の人たちと接する時間が増えるに従って、自分の底の浅さになんとなく気づいてきてしまったんですよ。

今まではそれを良いとか悪いとか判断することも考えなかっただけで。

バイブルスタディを聞き終わった頃には僕の自信がすっかり喪失してました。

自信を喪失した自分は神様の土壌に植え替え中の木だと悟る

— いろんな人の話を聞いてきましたが、御言葉聞いて自信がなくなった人は初めてです(笑)。

結構人生の絶望に落ちていって、全然楽しくなかったですね(笑)。

御言葉で求められる人間としての水準が高いのと、周りにはそれを持っている人たちがたくさんいて、同時に自分が弱すぎることに気づいてしまって。

「俺は弱いところなんかない」って言ってたのに、弱すぎて自分のことが語れない。今までは虚栄で頑張ってただけだったんですよ。

でもその時に掛けられた言葉を今でも覚えていて。

人間を育てるのと木を育てるのは同じ。環境を移し替える時は、根っこを切るから一回葉っぱが全部落ちて、木は一回枯れてしまう。でも神様っていう土壌に植わるなら得る栄養が全く違くなるから、より長く根を伸ばして、より成長して、よりよい実を実らせることができるよと。

それなら俺は今一回木が枯れた状態だなと。ここから本当にいい栄養が吸えるようになるんだったら、もうちょっと頑張れるかなって感じで真剣に学ぶようになったんです。

自分の弱いところを見つめながら、自分の軸を見つめながら、聖書の中に書いてあるような、神様に似た人格、たとえば簡単に怒らないとか、心配しないとか、嫉妬しないとか、相手を傷つけないとか、そういうのを意識するようになったんですね。

昔の自分と今の自分、どっちがいい?

なんだそんな当たり前のことって思うかもしれないんですが、そんな当たり前のことをできている人って実際はほとんどいなくて、摂理の人とそうじゃない人の違いをいろんな場面で感じるようになりました。

たとえば留学行った時にもあまりにも磨かれていない人にたくさん出会ったりとか、日本から一緒に留学行った人も大手の投資銀行に勤めたいとか言うけど、「なんのために?」って1個深掘って聞くと答えに窮するみたいなことがよくあって。

その時に僕の昔の姿を見た気がしたんです。そのBeforeの姿とAfterの自分を比べて、御言葉聞いて本当によかったなって確信しました。

足りない自分をもっと磨きたいって思いがムクムクと出てきたんですよ。これを「成長」っていうのかって実感したタイミングでもありましたね。

神様に似せて作った人格で頼られる存在に

聖書を学び人格とか性格を磨いた結果、留学先の中ではリーダー的な存在として一目置かれることが多くなったんですね。

みんなのことがよく見えてしまうからその分だけ気にかけるし、自分の感情や意見をぶつけるのではないからいろんな場面で頼られるしで。

神様に似た性格に作ろうとしたらそういう頼られる存在になっていくんだ、というのもわかりました。

昔の自分のように、自分の弱さと向き合えず、自分を最強だと思っている人は変化の余地を自分で潰してしまっている。

とにかく刹那的に目の前の目標を実現して、それをひけらかそうとする人を見るとなんか、すごい悲しく感じてしまって。

全然神様も聖書も信じねぇし、いるかどうかわからんとか言ってたところから、神様を信じるようになって、こんなにメリットがあるのかと思うと大学生みんな知ったら良いのになとか今では普通に思いますよね。

神様への感謝を!

— もし世界中の人の前で演説台に立ったら何を話しますか?

「御言葉聞いて本当に変わりました。ありがとうございます。」

みんなには言ってないかもですけど(笑)。

— ありがとうございました!